top of page

実家にかえります



楽しかった東京での隔離生活も終わり、明日から実家(Hell)に帰ります。


カナダで生活してるあいだ自分だけの空間が恋しくてたまらなかったから、久々の日本のアパートが快適でしかたなかった。部屋が寒くないうえに念願のお風呂も入り放題だし。2週間の隔離期間、長いかな?と思っていたけど、もともとカナダでもずっと家にいたし、TwitterをやってYoutubeで動画を見てたら時間が溶けるみたいにわりとすぐに過ぎた。


隔離が終わってからは近所の薬局で入浴剤を買ったり、新しくオープンしたフェミニスト書店エトセトラに出かけたりした。できるだけ人混みには行きたくなかったから数えるほどしか最寄駅からは出なかったけど、それでも久しぶりの東京は懐かしかった。




こんなに長い間東京にいるのはいつぶりだろう、と思い返してみるとカナダに行くと決めてから実家に帰る直前、このブログで「またね、東京」とだけ更新してる回があった。今見てみるともうそれも1年と9ヶ月前。時間が過ぎるのは早い。


まさかまたこんな形で東京に戻ってくるとは思ってなかったけど、無理に無理を重ねるのをやめた今、カナダにいたときよりは楽な気持ちだ。カナダで楽しい時間も過ごしたけど、そのあいだいつも仕事のことを考えていたし、ちょっと息抜きしてると「そんなことやってる間にもっと真剣に就活できるんじゃないの?」とか、完璧主義が自分を攻撃し続けていたから、それからもやっと解放された。


話が少し変わるけど、東京に住んでいた頃、都会ならではの利便性や、大型チェーン店だけが残る私の地元とは違って素敵な個人店がたくさんあるところ、賑やかな書店イベントや気軽に海外アーティストのコンサートに出かけられるところがとても好きだった。


でもそれと同時に罪悪感も持っていたように思う。自分の生まれ育った場所ではそんなものないのに、今も都会以外の地域ではかつての私みたいな人がいるのに、特権的な場所で浮かれてるんじゃないよ、といつも自分で自分に言っていた。


それに東京にいることで結局私も首都の権力一点集中に加担してるんじゃないのか、とか。東京で便利さ、文化的な豊かさを享受することにいつもなぜか申し訳なさがあった。


でもカナダに行った今思うのだけど、そこで暮らすなら、もうその環境で生きていくしかない。たとえばバンクーバーでは家の近所どころか最寄り駅にさえスーパーがなかった。本当に不便でしかたがなかったけど、住んでしまえば受け入れる以外の選択肢はなかった。


それと同じように、住むと決めた場所が利便性や文化面で恵まれていたら、それに抗ったってしかたない。どうせ受け入れることになるんだから。


そもそも豊かなのは悪いことじゃないし(都会が本当の意味で「豊か」なのか、ということは今置いておいて)、私たちはそれに慣れていようとなかろうと、みんな求める環境で生きる資格がある。大事なのはその選択肢を持たなかった他者の存在を忘れないことであって、第一私が「豊かさ」を我慢したところで他者がそれを受け取れるわけでもない。自分が幸せであって、やっと人にそれを分けられるっていうもんね。


自分が楽しむことや幸せでいることを怖がったり、罪悪感を持たずいたいなと思った。私たちにはまだまだ幸せに慣れる訓練が必要。


とにかくこれから実家に帰るのはすごく怖いけど、お金を貯めることに集中することに決めた(2回目)。私がいつも精神的に不安定になるのは経済状況を自分でコントロールできないときっていうパターンも分かってきた。


これからのことを考える前にまず自分だけの家に住みたいし。ブログをはじめたこの2年で自分が何も学んでないわけじゃないはず。カナダでもなんとか帰国までは生活できていたんだし、自信を失わずにいられるといいな。

0件のコメント

最新記事

すべて表示

なんでフィクションを書こうと思い始めたか

ツイッターが好きだからです、、、って書きかけて止まった。 でも、本当にそうなのよ。。 私は子供の頃からフィクションが好きで、もちろん自分もそれを生み出せる人になりたいなと思ってはいたけど、いまいちどこから始めたら良いのか分からず、そしてなんやかんやでライターの仕事をぽつぽつ...

Comments


bottom of page