今日でジョンヒョンがいなくなってから1年経った。昨日の夜から絶対に堪えるだろうなというのは分かってたから、メンタルの薬をちゃんと多めに飲んだ。そしたら効きが強くて、電気ストーブも照明も全部付けたまま寝てしまってた。起きたとき汗をかいてて部屋が暑くてびっくりした。タイマー機能ないから気をつけないと。
起きてからも薬が効きすぎて、全く起きられなくて、フラフラしてたから結局バイトを休んだ。最初からこうしておくべきだったと思った。
どちらにせよ、今日は代々木体育館に行くつもりをしてた。SHINeeが日本で初めて単独コンサートをした場所。ジョンヒョンが忘れられない思い出の場所として挙げていたところ。
行ってみると、話しかけることはできなかったけれど、バラを持ってきて写真を撮っていたり、ペンライトを光らせてずっと代々木体育館を見つめてる人たちを見かけた。
私もバラを1本買って帰ることにした。今私の家にはジョンヒョンのコーナーがあって、そこにジョンヒョンの誕生日に買ったバラがドライフラワーにして置いてある。今日は新しいバラを買ったから、これもまたドライフラワーにしてみたいと思う。
でも今日こうやって代々木に行ったり、歩きながらアルバムを一から全部聴いてみたりして正直思ったのは、今日もいつもと変わらず悲しく、恋しいということ。私にとって今日は特別ジョンヒョンを思い出す日ではなかった。一日も考えない日はないのだから。どちらかというと、オフィシャルに悲しいことを表していい日という感じ。
でも今日は普段しないことをした。ジョンヒョンの遺書を読むこと。なぜそうしたかというと、彼はそうしてほしくて書いたのだと思ったから。そして、静かな怒りに共感した。少しびっくりしたくらいだ。
そして、一昨日私が書いた文章は、遺書みたいだったと自分でも、後で気がついていた。なぜかって、ああいうふうにもう全てがどうでもよくなったら終わりだからと思うから。怒りつつ、それを諦めるとき。
ジョンヒョンがいなくなったころ、私が何をしていたのかはこのあいだ完成させた「わたしの東京物語2」こと、新しいzineに書いたのだけど、この間ジンギャザではじめてお会いした人とそのzineのトレードをした。もうひとつのzineがなくなっちゃってたからそうなったのだけど、なんで初めて会った人にあんな重たいもの渡しちゃったんだろう?!悪かったな…。って思ってた。
そしたらこのあいだたまたまその方にまた会う機会があった。そしたら私の書いたことにとても共感したという話をしてくれて。だから、すごくすごく個人的だと思うことも、みんなが持ってる気持ちなのかもしれないと思ったし、ひとりじゃないみたいでありがたかった。
もうしばらく、もしかしたら二度と読み返せないものかもしれないけど、書き残してよかったと思った。
最近月がピカピカしてる。なんとなくいつも、その先にいるんだと思ってる。悲しみと一緒にあるのはいつも愛だと思う。
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