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30歳になりました!引っ越して1年。



お久しぶりです。まず、今回の更新がおそらく半年以上ぶりで、ブログを長らく書けていないので今回最後まで自分の書きたいことが書けるか不安です。が、よかったら最後まで見守ってください。


まず去年の今頃、バタバタと今の家に引っ越して来てから1年経ちました。ということはこのブログで援助を呼びかけたのが一年以上前で、時間が経つのは早いなという気持ちと、まだそれだけしか経っていないのかという驚きが両方あります。


引っ越したばかりの頃はまず自分がいきなり上京することになり、一人で生活していける自信が全くなかったので、この一年よく生き抜いたな、というのが一番の感想です。同時に目の前の生活をやっていくことで精一杯で、当時援助を申し出てくれた人たちに、十分感謝ができてなかったな、とも思います。もちろん言葉にしては伝えて来たつもりですが、やっぱり一番大事なのはこうして書き続けることだと思うので。


とにかく、あれから一年過ぎました。全く近況をアップデートできていなかったので、今回長くなるけど書きたいことをつらつらと書きたいと思います。


まず、4月25日で30歳になりました。自分が30代に突入したなんて、今でもちょっとびっくりです。とはいえ、去年今の家に引っ越して来たのが今の時期ということは、私はあの支援を呼びかけたブログ記事を誕生日の前日、4月24日にアップロードしてたみたいなんですね。だから去年は誕生日どころでなく、ひたすら引っ越しのことと、これから先の生活について不安でいっぱいでした。


生活に対する不安は今も変わりませんが、去年の今頃、来年自分はどんな誕生日を過ごしているんだろうと思うと、正直一切想像がつきませんでした。


その後上京してすぐに仕事を始めて、パンデミックの影響で転職して。正直得意な分野の仕事ではなかったので、仕事に慣れるのにかなり時間がかかりました。そしてやっと少しリズムを掴めてきたかなという今年の2月頃、新型コロナウィルスに感染したと思われる後遺症の症状が2ヶ月ほど続きました。


PCR検査を3回受けても陰性だったのであくまで予測ですが、無症状のうちに感染していてそのまま治り、後遺症だけ現れたのでは?という印象で、37度前後の熱が2ヶ月ほど続きました。


最初の1ヶ月はあまりのだるさから家事すらできず、もちろん料理もできないので毎日ほぼ寝たきりで、食べ物を宅配オーダーして食べてなんとか生活を繋ぐような時間が続きました。数ヶ月人と会ってなかったので、直接の感染経路は分からなかったですが、電車に乗ったり外でご飯を食べたりしていたので、そのどこかかなーと思いました。


最初の一ヶ月間は仕事を休んでいて、派遣なので無給どころか契約を切られる可能性もありましたが、なんとか次の月に徐々に持ち直し、仕事に戻ることができました。本当に心細い一ヶ月でした。正直、これだけ何もできない状態で、もう二度といつもの生活に戻れないかもしれないとさえ思いました。


こんな状態で周りに頼れる家族もおらず、収入も0になるということに加えて、自分が今ここで死んだら誰にも見つけてもらえないんじゃないかという恐怖から、毎日布団の中で目を閉じるのが怖かったです。あのとき食糧や生活に必要なものを送ってくださったり、毎日生存確認をしてくれた友人、読者さんには改めて感謝です。


その後仕事に復帰したものの、強めの抗アレルギーの薬を飲んだ時のようなだるさと、ブレインフォグと呼ばれる、目の前のことに集中できない、座っていることがしんどいというような症状がまだ続きました。思うように仕事ができず、以前のようなリズムを掴むのにまたしばらくかかりました。


それからやってきたのが4月で、私の誕生日でした。この一年頑張った自分へのご褒美に、20代の終わり、30代のはじまりをどうやって祝うか、たくさん考えました。予算に余裕があるわけでもないけど、この一年だけでなく地獄のような20代を終え、30歳まで生き抜いた自分へのご褒美、そしてこれからもやっていける力になるようなことをしたかったです。


とはいえ、毎日ただ生活と仕事に追われているとそれを考える時間さえあまりなく、結局、最近すっかり夢中になっている一人ディズニー&ずっと泊まってみたかったホテルに宿泊することにしました。


もちろん贅沢だなと思いましたが、最近コロナの後遺症(疑い)を経験して思ったことがありました。


私は食べる時、好物は最後に食べるタイプです。最初に経験するより、その楽しみをずっと取っておきたくなるのです。


私の性格として、好きなものや、服を買ってもそういう傾向がありました。人生においても同じだと思います。楽しいことを我慢して今苦労しておけば、あとで楽になるとか、そう思わずにはいられなかったというか。そう思って生きてきたし、今でも無意識にそんな生き方をしているかもしれません。


特に20代の間は生活の困難さに加えて、自分がやりたいことを実現するために空き時間さえ作ってはいけないような、何をしていても必ず自分の活動のためになる、”有意義”なことをしないといけないと、自分を追い詰めた生活ばかり送ってきたように思います。なので息の抜き方や遊び方を知らないうえに、単純に何かを”楽しむ”こと自体に常に罪悪感を覚えていました。


でも、人生においていくら我慢をして、楽しみを後に残したところで、いざその楽しみを実行しようとなった時、自分がそれを楽しめる健康状態かも分からないし、どんな言葉で老いをポジティブに捉えようとしても、身体は歳をとっていきます。そもそもまず、生きることってゴールで楽をしようと頑張るものというよりは、その過程を楽しむもので、旅なのだと、今更ですが気がつきました。人生においてゴールは死でしかないのだから。


長々と書きましたが、こういうことが今回誕生日に自分から自分に”楽しむ”というプレゼントをしてあげよう、と思ったきっかけでもありました。


当日、それはそれは楽しい時間を過ごしました。子供の頃に数回だけ連れて来てもらったことがあるディズニーランドですが、子供の頃といってもまだ親と旅行に行く余裕が家庭にあった頃なので、幼少期の中でも本当に限られた数年間でした。でもディズニーランドに行くとその頃の幸せな記憶を思い出すことができるので、私はそれをまだ探し求めてディズニーランドに向かっているのかもしれません。


また、地方に住んでいてディズニーランドに来れることなんて滅多になかったですし、来るたびにいつも食べてみたかったものや行ってみたかった場所など、やり残したことが必ずありました。東京に住んでいると、近場なのでそれをひとつひとつやっていける感覚があり、もちろんもう残っていないものも多くありますが、子供の頃の夢を叶えている感覚があります。


今回ホテルには一人で泊まったのですが、宿泊は1部屋2名の料金が最低額なので、同じ価格で本当はもう一人泊まることができました。せっかくなので数少ない友達に少し声をかけてみたりしましたが、直前の平日月曜に来れる人なんてそうそういませんし、元から一人で過ごすつもりだったので、それは問題ありませんでした。


でもどこか寂しい気持ちがありました。それは誕生日に友達がつかまらないことでも、当日を一人で過ごすことでもありません。ただただ、これだけ楽しい計画を立てても、何か足りないものがあると思いました。


そしてふと気が付いたのが、私の親の存在でした。


何度も書いていますが、私はシングルマザーの家庭育ちで、もちろん親の言動について許せないことも、ムカつくこともたくさんありますが、私が生まれてから貧困ゆえに直面してきた困難について、すぐ横で応援してくれていたのも私の親ひとりでした。


周りから父親が家庭にいないからと見下されても、貧乏人が大学、ましてや留学を目指すことに対する冷たい視線の中でも、進学を応援し、私を今の私にするために働いてくれたのも、その困難をすぐ横で分かち合えたのも親ひとりでした。


こうやってなんとか一人で生活ができるようになり、昔家族で来て「いつかこんなところ泊まってみたいね」と言っていたようなホテルに泊まれるようになって、その喜びを分かち合いたいと思った相手は皮肉にも、こんな状態に突き落とした親で、この気持ちをどうすれば良いのか分からなくなりました。


ただ、これまでずっとそうしてきたように、親と今まで生活で大変だったことを話しながら一緒に誕生日を祝えたらどんなに良いだろう、と考え出すと止まらなくなりました。


現実的には、もう7年ほど親とそんなコミュニケーションは交わせていないし、連絡を完全に絶ってはいないものの、ほぼ絶縁状態です。


それはもちろん、このブログでも書いてきた親を洗脳している男性Eのせいだと分かっていても、目の前にいる親に対してなぜ目を覚まさないのか、という怒り、悲しみは消えません。


シングルマザーの家庭で母親と協力ができないことがこんなに大変なんて、と思います。これだけ傷つけられても、まだ自分が母親を求めていることに気付くたび悲しくなりますし、現実的にはカウンセリングを受けるしかないな、と思っています。それにもまたお金が必要なのですが。


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話は戻りますが、最近ディズニーランドに行くことに夢中になっていることについて、もう少し書きたいと思います。


きっかけは去年たまたま秋に4連休があり、どこか旅行に行こうかと考えたときでした。

箱根か軽井沢にずっと行ってみたいなと思ってはいるのですが、宿は高いし交通費もかかるし、どこか近場で気分転換できるところはないかなと、ふと思いついたのがディズニーでした。


最初は一人で行くことを躊躇しましたが、元々一人で旅行に行こうと思ったのがはじまりだったので、別に一人でディズニーに旅行しても良くない?と思ったのでした。


その時の決断は正解で、外国みたいな雰囲気を体験できるパークでは存分に気分転換できました。


丁寧に手入れされた季節の花が咲き、凝った四季が感じられる飾り付け、素敵なショーやパレード.....大げさかもしれないですが、今まで生活のために忙殺されていた自分の中の美しいものを愛する心、みたいなものが再び動かされたようでした。


そもそも、千葉で冬でもヤシの木が見れるのってつくづく不思議だと思います。もちろん天候や混み具合などもあり一度行っただけでは物足りず、前回できなかったあれをやりたい、これを食べたい、と色々調べているうちにいつのまにか夢中になっていることに気がつきました。調べれば調べるほど効率よく回れたり、予定を立ててそれを”攻略”するような感覚になれるのも、楽しみの一つだと思います。


その過程で、自分が子供の頃に見たパレードを改めて調べてみたり、その頃の幸せな記憶に再訪するようになりました。もちろんそれは、痛みを伴うものでもあるのですが。そうしているうちに、私は自分がすごく疲れていることに気付きました。


貧困家庭で育ったことも、家族の問題に巻き込まれたことも、海外で生活を築こうとしてパンデミックに呑み込まれたことも、去年いきなり家を追い出されるように出て来ないといけなかったことも、パンデミックの影響を受け転職したことも、派遣として働くことも、そしてやっとゆっくりできると楽しみにしていた年末年始の休みに実家がついに強制退去になり、泣く泣く引っ越し作業をしないといけなかったことにも。


そして、これらのことは全てベースに貧困があり、そのことについて考え続け、発信することにも。


貧困について発信するとき、私たちは完璧な”被害者”であることを求められます。声をあげる時に声を荒げていないか、できることは全て本当に全部やったのか、選択の間違いや、調べ足りずに知らなかった情報はないか。どのくらい”貧乏”だったのか、本当にあなたはひとつも恵まれていなかったのか証明しろ、と。


当事者でない人は気がつかないかもしれませんが、私はそういった圧の中を知らないうちに生きていたように思います。


ただ、疲れた私はもう貧困の話をすることも、”告発”のようなことをするのももうやりたくない。たまには貧困のことを忘れ、無縁であるように生きたい、と思っていました。


だって常に自分に何かあれば生活保護一直線という事実があり、帰れる家もなく、頼れる家族もいなければ、歳をとって働けなくなったらどうなるのだろうという不安が常につきまとっているのに、なぜまたその話をしないといけないんだろう、と思うのです。


人生の時間は限られているし、私にも私の人生を楽しく送る権利があるのに、と。


もちろん今も経済的に余裕があるわけではないし、だいたい毎月赤字の生活を送っています。でも節約さえ頑張れない時も正直あります。


生活保護の話で言えば、去年今の家に引っ越す前、仕事が決まる前、東京に引っ越して生活保護を受けながら就職活動をする計画を立てていました。


今思うとこの時期が一番精神的にしんどかった時期で、同時に家に来て良いと言ってもらったり、たくさんの人に物理的にも精神的にも助けてもらった時期だと思います。


とはいえ、自分ではしばらく気がついていなかったのですが、この時の体験が自分の中で大きなトラウマとなっているようで、ツイッターで行われている生活保護のバッシングが目に入ったり、たとえポジティブなニュースでも、文字を見るだけで当時の自分の苦しかったことを思い出し心臓がバクバクして冷や汗をかいたり、心身の調子が悪くなったりするようになりました。


たぶん当事者として生きるって、こういうことなんだと思います。もう頑張れないけど、今こうして生きていることが立派な運動なんだ、とも。


今は”社会運動”をやれるようなキャパシティが自分にない、とここ数年言い続けてきたつもりでしたが、そうは言いつつやっぱり自分が当事者であるかぎりその運動から逃れられないものなのだ、とも思います。生きていることが、運動なので。

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私はディズニーランドの中でもトゥーンタウンというミッキーたちが住む街を特に愛しているのですが、それはこういう街に住めたらよいのにな、と感じているからだと思います。


街にいるみんなが楽しそうで、建物がおもちゃみたいにカラフルで可愛くて、子供にも優しく、暴力の気配を感じない。


前に作ったzineで書いたことがありますが、ディズニーランドはゲスト同士がすれ違った時、知らない人と手を振り合う文化があります。子供の頃はこの文化がもっと濃かったような記憶があるのですが、現在も少しは残っています。


私はマークトゥウェイン号(こういう名前の船の乗り物があります)に乗りながら向こう岸の知らない人たちと手を振り合う時、それは隣人もまた、ちゃんとしたひとりの人であると振り返るための時間であるようにも思います。


当たり前のことですが、なんだかそれをすごく忘れやすいようにできている社会に生きていると感じます。

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キャンドルライト・リフレクションズという2009年までディズニーシーで行われていたクリスマスのショーがあります。

これは暗闇の中をキャンドルライトのようなシャンデリアで彩られたフロートにキャラクターたちが乗り、そこから美しい音楽に合わせてこちらに手を振ってくれるという、とてもシンプルなショーなのですが、なぜかそれだけでとても感動的なのです。


真っ暗な海を美しいキャンドルが灯されたフロートが行き交う様子は、一瞬だけ隣人と関わり合い、そしてまたそれぞれの生活を生きていく私たちの人生そのもののようです。


ディズニーランドに行ったことがある方はわかると思いますが、まず、とても子供に優しい世界です。キャラクターやキャストさんたちは、そこにいる子供が、まるでこの世で一番大切な存在のように接してくれます。そういう場面を目撃するたび、子供時代、少なくとも一度は自分もこうした温かい世界の中で生きていて、同じように優しくしてもらったんだな、と思うとそれだけでなんだか少し、救われる気持ちになります。


自分が子供だった当時、”中の人”やキャストさんが20、30代だったとして、今その人たちはきっと40代〜50代だと思います。パレードで一緒に踊ってくれたお姉さん、可愛がってくれたキャラクターの人たち、当時働いていた人たちみんなみんな、今を幸せに生活してくれていたらいいな、と思えてくるのです。


話を戻すと、ショーの後半、美しい夜を過ごしながら、ミッキーが「今夜はみんなと一緒に過ごせて、ほんとうに幸せだね」と言います。絵本でしか見ないような美しい言葉を、美しい音楽と共に聴いているこちらも「ほんとうに幸せな日だったな」と、素直に思えるのですがそんな日、人生に何度あることでしょう。


そしてミニーちゃんが「みなさんの心にあたたかいキャンドルが灯りますように」、ミッキーが「いつまでもキャンドルライトが輝きますように」と言います。


このキャンドルライトとは、本来人間が持っている尊厳のようなものではないでしょうか。美しいものにふれた時にふとその存在を思い出す、いつも心で燃える灯火。その光が社会に呑み込まれないよう、消さないよう、こうして時々その存在を確かめ合う時間が必要なのだと。


本来私たちは生きていて嫌な思いをしたり、お互いを傷つけ合いながら働くことに身を捧げるために生まれてきたわけじゃない。遠くからお互いに手を振り、時に鼓舞し合い、それぞれの人生を謳歌するために生まれてきたのだと。そして何があってもその灯りを消してはいけないのだと、このショーを見るたび、再確認します。

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とはいえ、そんなショーでさえこの社会の歯車として存在していて、ディズニーという企業がクリーンであったことなんて一度もないですし、特に日本のディズニーランドは従業員のほとんどが非正規雇用であることは有名です。元従業員の方が起こしたパワハラの裁判も行われていますし、こういった美しいものさえ搾取の上に成り立っています。そこで感動するということを、どうやって飲み込めば良いのかわかりませんが、忘れたくないと思います。


自分もこの社会の被害者であり、他者もまた被害者なのだという、はっきり言ってひどい世界で、どうやってやって生活していけば良いのか、日々悩みます。コロナ禍ではっきりしたと思いますが、飲食業やサービス業や清掃業、その他たくさんの大変だけれど生活に不可欠な仕事の賃金が低すぎることに変わらず憤りを覚えていますし、身近なところで言えば、これを大手チェーンのカフェで書きながら、ふと食べ物を食べるのだってそのサイクルに加担しているのだな、と思わずにいられません。


これだけ長く書いて、結局何が言いたいのか自分でもまとめるのが難しいですが、被害者であり、常に加害者にさせられるこの社会の仕組みがすごく理不尽であると感じると同時に、人生のほとんどを搾取され生きてきて、自分がこれからどのように生きていきたいか考えている最中、というところでしょうか。


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私はやっぱりこうして文章を書いたり、歌ったり、動画を作ったり、創作をすることが一番楽しいと感じます。最近ディズニーで遊んだことで、それを再確認できたのもありがたかったです。


仕事の雇用もまだ不安定で、正直今の仕事が自分に合っているとは思いません。今回はこうしてたまたま休みがありましたが、仕事をして、家事をして通院、その他溜まっている書類処理...などですっかり疲れてしまうので、そこから創作モードになるのがかなり難しい状態です。


それでも生活に自分のやりたいことを押しつぶされたくないし、文章にしろ歌にしろ映像にしろ好きな創作を続けて、それで生活をしていけるようになりたいという目標は変わっていません。


地味ですが、今年はもう少し広い部屋に引っ越しをして、狭い部屋特有の常に何かを片付けていないといけない状態から解放され、もっと創作の時間を作るために生活を整えていく一年にしたいと思います。


とにかく、なかなか思うようにできない日々ですが、整えるものを整えて、いつかひょいと飛べるように長い目で見守ってもらえたら嬉しいです。写真はまたまとめてインスタにUpする予定なので、よかったらフォローしてください。@tsscarlet

コメント、メッセージ等もあればぜひここから。

それでは、また!



P.S. 誕生日の写真を少し載せます!






Have a good night!

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