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父の死が霞むとき

さて、突然だけどこのブログをはじめようと思ったきっかけだ。私はこのブログをはじめたとき自分の物語、地元の物語を書きたいと思っていた。そしてそれは最終的に私の父の話に行き着くはずだった。父は私が20歳のとき病気で亡くなっている。まだ40代半ばだった。私はそのことがいつまでも忘れられなかった。考えれば考えるほど、父の死因は貧困だという結論にたどり着いたからだ。私はこのことを語る必要があった。


だけど今、それどころではなくなってしまった。ジョンヒョンが亡くなったからだ。私はジョンヒョンが亡くなって、はじめて死というものを理解しようとしている。

父が亡くなったとき、お葬式では涙が枯れるほど泣いた。血の繋がった父にはもう二度と会えないのだと実感して、あんなことは初めてだった。


でも、今になって思えばあの悲しみは、比べられるものではないのかもしれないけれど、今のものとは違っていた。すごく正直な感想を書くと、今のところ、父が亡くなったことなど取るに足らないことになってしまった。


私が3歳のときに家を出て行って、養育費どころか私たち親娘に借りたお金さえも返せず、何年も顔を合わせず常に遠くにいた父より、今を除けば一番つらいとき、いつも音楽を通して語りかけ、同じ時代を生きてくれたジョンヒョンの存在のほうが何倍も大切だった。


ジョンヒョンの音楽は暗いところにいるとき、それをも包める暗さで寄り添ってくれるようなところがあった。ジョンヒョンのことについてはこのあいだ作ったzineに詳しく書いたけれど、何にも代えがたい大切な大切な存在だった。


そして、彼を形成するひとつの要素として貧困というものがあった。彼は母子家庭で育って、経済的に貧しい幼少期を過ごした。そしてアーティストとして成功してからは一家の「大黒柱」になった。お金に困らなくなってからでも幼少期のつらい貧困の記憶が消えないと語っていたこともあった。


「貧乏人は根性があるから強い」こんな言説をよく聞くけれど、私はそうは思わない。貧しい人は決して強いわけではない。そう見えるならば、そうでなければ生きることができないから力を振り絞っているだけだ。そして、それがいつまでも続くとは限らない。ほとんどの人は途中で力尽きてしまう。そしてその中で残った、ある意味恵まれた身体も精神も強い人間だけが生き延び、「貧乏人は根性があるから強い」になるのだ。消えていった人たちのことが語られることはない。


「つらいことがあればあるほど、心が鍛えられてさらにつらいことにも耐えられる」みたいな言説もあるけれど、私はそれも信じていない。


実感として、心はつらいことがあれば弱っていく一方なのだ。筋肉じゃないんだから、鍛えて強くするなんてことはできない。


ただ、この言説が重宝されるのをあまり責められないのは、私を含め、そう信じたい人がたくさんいると想像できるからだ。


もうすぐジョンヒョンが亡くなって1年経つ。私はいまも心ごと持っていかれたような日々を過ごしている。


ただ今になって思い返すと、私は優しくないファンだった。彼を恋愛対象として好きなわけじゃなかったから、ライブに行っても姿を見ることなんてほとんどしなかった。いつも家にいるお兄ちゃんみたいに雑にみていた。ジョンヒョンがいなければライブには行ってないくせに。いなくなってからこんな気持ちになったって遅いのだ。


もう今年は何もできないだろうと思っていた。たしかに、想像していた以上にひどい1年だ。でも私は書き始めた。今も書いている。この先どこで力尽きるかもわからないけれど、見守っててほしい。

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