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面接のその後と「イタズラなKiss」


今日で面接から3日目。


ベッドの間近くにある大きな窓から光が差し込む朝、なぜかiPadから派手にポーンと音が鳴った。ぼんやり目を覚ますと、メールだ。差出人には知らない人の名前。件名から察するに、どうやらこの前受けた面接の結果みたい。


見慣れない名前だからか、なんだか良い予感がしなかった。起きた瞬間から悪いニュースを見たくなかった。あとで開くことにして、しばらく布団の中に潜り込んで目を閉じた。でもやっぱり気になる。次の瞬間にはiPadに手を伸ばして、メールを開いた。


"We would like to inform you that, at this time, we are moving forward with ~(お知らせします。今回私たちは~を前向きに進める)"という文が目に入った。


え、もしやこれ良いニュース?!と思いきや"with our recruitment efforts(求人の募集)"と続いていて、結局は"we are not able to continue with your application for this opening.(このポジションにはあなたでは無理です(意訳))"とのこと。


なんだよ!ややこしいよ!


ショックだったけど、でもなんとなく分かってた気もした。だって、このポジション、私が日本にいたときからずっと永遠に求人が出てて、不思議に思ってたんだった。


たぶん、相当選り好みしてるのか、特に重要度が高くないのか、わからないけど、そういう求人ってあるよね。うちの地元の永遠にパート募集してる駅前の耳鼻科かよって。知り合いが面接何人も落ちてるとこ。


とりあえず、落ちてしまったものはしかたないから、他のことをすることにした。家の周りを少し散歩したり、Youtubeの動画を撮ってみたり、料理をしてみたり。


こちらに来てから食べたいと思ったものは自分で作らないと基本的に食べられないから、自炊のレパートリーが増えた。今日は初めてとんかつを作った。


今までお店で食べたり、お惣菜コーナーで買うものでしかなかったとんかつを自分で作るのは楽しい体験だった。明日はこれでカツ丼にしたいな。


お友達のお母さんに教えてもらったレモンはちみつも、作ってみた。



十分に浸からないうちからレモンのスライスを一枚つまんでマグカップに入れてお湯を注いでみたけど、十分おいしかった。


話は変わるけど、最近ずっと「イダズラなKiss」をKindleで読んでる。今じゃありえない価値観や表現もたくさんあるけど、軽視されがちな家庭生活をとても繊細に描いていること自体が文化的にとても豊かで、フェミニズム的だと思う。


やっぱり「赤毛のアン」の延長線上にある作品。こういう作品での季節の行事や移り変わりの描写は欠かせないし、その細かさに感動する。


あと「イタズラなKiss」はわりと底抜けにポジティブなストーリー、価値観なんだけど、作者の多田かおるさんは幼少期から貧困や病気で苦労されたみたい。


そのせいか分からないけど、読んでると、生活に困ることのない、すごく守られた安全で幸せな世界なのに、涙が出そうになるときがある。まさに私が、私も、見たいと思っている、求めて続けてる世界があるからなのかもしれない。


それに、実際悲しむよりも、ポジティブでいるのはすごく難しい。悲劇のほうが「重み」があるとか、「文学的」だとか、さらに価値のあるもののように評価されることが多いけど、悲しいことを悲しいこととして描くのは、ニュースみたいにそこにあるものをそのまま差し出してる側面もある。


琴子と入江くんのお母さんのシスターフッド描写も大好きだったけど、最近は読んでるとなんだか泣けてくるようになってきた。


先回りしすぎるゆえ「孫の顔を見せてちょうだいね!」とか言っちゃうお母さんだけど、あまり気にならないのは、もし何らかの理由で二人に子供ができなくても、たとえ二人が別れても彼女は琴子のことを愛し続けるんだろうな、と想像できるからかもしれない。

長くなってしまったけど、最近はそんなことを考えていて、そういえば前回アメリカに留学してた時も「イタキス」のドラマを観てたな、と思い出したり。(どれだけ笑)

当時中国とかアジア圏ですごい流行ってて、同じ寮の中国人のハウスメイトに勧められて観たんだった。


今も「イタキス」を読んでると、すごく不思議になる瞬間がある。


連載が始まったのは私が生まれる前で、連載中ももちろん赤ちゃんだったからその当時の時代の雰囲気は知らない。琴子や入江くんは72年生まれで、私の親のほうが近いような年齢だし、作者の多田かおる先生はもうこの世にいない。


でも、私は夜寝る前にこの作品を読んで、ほっと幸せな気分で眠りにつく。そこでは作品だけじゃなく、SNSが無かった時代の、多田先生がジョディ・フォスターの大ファンだとか、その時その時の臨場感のある文章も読める。


作品にはたびたび手書きで作者からのツッコミが入る。天の声だ。オルコットの「若草物語」みたいに。何年も、下手したら何世紀も離れた彼女たちと作品を通してつながる瞬間がある。


こういうと安っぽく聞こえるかもしれないけど、確実に、そこにいた、まだいる彼女たちと作品を通じてつながれるのは本当に不思議で、夢みたいな瞬間だ。読書は、目を開いて夢を見るようなもの、とだれかが言ったっけ。


私は、このブログをいつか本にしたいと思う。私も書くことを通して、いつかの誰かとこの時を共有したいと思う。


おこがましいかもしれないけど、今もどこかに同じような体験をしてる人がいて、今だけじゃなく、この先にでも、私たちが抱えてきたものを共有して、お互いを慰めることができるかもしれないから。かつてたくさんの作品が私にそうしてきてくれたように。


私がいま「イタキス」を読んで、多田先生本人に「作品大好きです」っていくら伝えようとしてもできないし、私も私の書いたものを読んだ人全員から感想を届けてもらえるなんてことはないだろう。自分も滅多にそういうことしないし。


でもそれでいいから、いつか本を作ろうと思う。今のところどこからも出版の話はもらってないけど、商業だろうが、そうじゃなかろうが、そうする。一人でも読んでくれる人がいるなら。

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