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フェミニストと結婚式



さて、すこし時間が経ってしまったけど、サリーちゃんの結婚式に行ってきた話をしようか。だけどその前に、なぜ私が昔の地元仲間たちとまた連絡を取るようになったのかを書こうと思う。

きっかけは、M姉さんが開催したオープンハウスだった。オープンハウスというのはアメリカ発祥の、近所に住む友達たちと集う機会をつくるために開くホームパーティみたいなもの。でもパーティほど気の張ったものじゃなくて、家主は料理を準備しないで、場所を提供するだけ。来る人がそれぞれ食べものや飲み物を持ってくる。そこで不用品を持ち寄って交換してもいいし、ふだんなかなか会えない人たちとのちょっとした交流場が生まれるような感じだ。M姉さんが教えてくれた知識だけど。

ということで、私もM姉さん宅で行われたオープンハウスに呼んでもらった。ろくなものが作れなかったから総菜屋さんでキムパを買っていった。自分が食べたかったものだ。


M姉さんはとにかく色々な人を招いていた。たとえば、仕事仲間や中高の同級生。M姉さんの知り合いということ以外共通点のない人たちが一挙に集まっていた。


もしいま私がこういう会を開いたら、たとえばフェミニズムの活動を通して知り合った政治やジェンダー観に関してある程度、共通の感覚を持った人しか集められないんだろうなと思った。 私はM姉さんが未だに中高の同級生たちとそうやって交流を持っていることにすごく衝撃を受けたし、羨ましいと思った。今まで活動で知り合った仲間か幼なじみ、どちらかを選択するしかないと思っていたからだ。


まず私はアメリカに行ったとき、東京に来たとき、とにかく地元が嫌いだった。当時地元には私が望むものが何ひとつなかった。今よりもっと潔癖で、全てのものを捨てたかったし、全く違う場所に行きたかった。フェミニスト以外とは話したくないと思っていた時期もあった。

それに、ある程度目に見えて分かる成功をしなければ地元には帰れないと思っていた。だってわざわざ生まれ育った場所を出たのだから。中途半端なんて許されない。戻れるのは完璧に成功して、誰も文句を言えないようになってからだと思っていた。何者にもなれず、もがいてる今の私の姿なんて誰にも見せたくなかった。だから、ネット上でうっすらと繋がっていた地元の仲間たちの前からは姿を消した。もちろん嫌いだったとかそういうわけではない。ただ私の存在を忘れてほしかった。


だけど地元の風景はどこに行ってもついてきた。不思議なことに、私はフェミニズムをベースにしたマガジンを運営しながら、気がつくといつも地元のことを考えていた。紙媒体ではなくネットでマガジンを始めたのも、ネットなら本屋がない地元でも手軽に、直接アクセスができると思ったからだ。おそらく私は大嫌いな場所をどうすれば改善できるのかと考えてみることで過去の自分を慰め、楽になろうとしていたのかもしれなかった。


オープンハウスに触発され、私は勇気を出して、先月数年ぶりにインスタを通して友達たちと連絡をとった。ひとりは「あんなに親しかったのに疎遠になって寂しいと思っていた」と言ってくれた。そのとき私は今まで意地をはっていた意味がよくわからなくなった。ただ、涙が出そうになったことだけは本当だ。私もずっと同じことを考えていたから。

結婚式に呼んでくれたサリーも、私が式に来てくれるとは思ってなかったと言っていた。私はそんなにひどい人間だったんだろうか。地元を憎むあまり、彼女たちまで遠ざけていたのかもしれなかった。


地元の駅に着いたとき、久しぶりにいつもの違和感におそわれた。自分が駅の穏やかな色彩から浮いていて、間違えて作画の違う絵本の世界に来てしまった人間のような気がするのだ。周りの人もそれに気がついているんじゃないかと不安になった。


結婚式には生まれて初めて出席した。フォーマルな場面になると姿を現す、伝統という名前がついた家父長制的な部分にはびっくりもしたけれど、そのときそれはそんなに重要じゃなかった。私の中学の同級生でもあるサリーの親友が読む手紙には感動しすぎて、バレないようにこっそり泣いた。


だって、ベストのポジションをバトンタッチするみたいに「これからは◯◯さんが私の大切な親友を幸せにしてね」って寂しいじゃないか。私は友情関係より恋愛関係の方が重要とされてしまうこの世界が本当に憎いんだ。


同時に、生まれ育った場所を住みたい場所として選べず、いつも遠くへ行きたがる私は、同じ場所で共に成長し、ずっと近くで歳を重ねていく友愛の美しさを一生知らないんだろうと思った。


打ち解けるとかそんな言葉では表せない。昔から家族ぐるみで付き合いがあり、それが溶け合ってまたひとつの家族のように暮らす彼女たちの姿が眩しかった。それは生まれ育った場所を愛さない限り、手に入れることはできないのだ。


ただその日幸せそうなサリーを見られて、本当によかったと思った。彼女がこれからつらい目に遭わず、今日みたいに幸せでいてくれることを願った。


結婚式が終わると、毎日慌ただしくかつての仲間たちと再会した。電車がなくなるまで騒ぎ、今度また会う約束をした。


連日遊びすぎたせいで帰りはバタバタと新幹線に乗り込んだ。ひと息つくと、窓からはすべての境目があいまいになった穏やかな風景が見えた。目を閉じるとそれはすぐに流れてゆき、ふと目を開いたときにはその色はすっかり明確になっていた。窓からは淡く燃えるように光る東京タワーが見えた。

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