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故郷を「捨てる」ことを美化するな(アイデンティティの一部の取捨選択を迫られる私たち)

すこし久しぶりの更新。あれからどうしてたかというと、夜中にものすごく体調が悪くなって、救急車を呼んで病院に行った。めまいと吐き気、冷や汗が止まらなくなって。 考えてみたらこっちに引っ越してきてから救急車に乗るのは2回目。1回目は胃腸炎。死ぬかと思ったけど今回もなかなかひどかった。

救急車の担架で運ばれながら、アメリカで救急車に乗ったことを思い出してた。アメリカでも2回乗った。1回目は今回と似たような症状で、2回目はインフルエンザで40度の熱を出して。2回目は早朝だったから、寮の人を起こすのは悪いと思ってひとりで電話して下まで歩いて降りていった。今考えるとあんな熱がある中ひとりでがんばったな、自分。

今回の体調不良の原因は脳とか三半規管とか色々調べたけどよく分からなくて、とにかく神経から来てるみたいだった。アメリカの大学で最初の授業に出たとき、最初の授業って評価についてけっこう厳しく言われるからそのプレッシャーで発作みたいなの起こしたんだよね…。奨学生でいるにはだいぶいい成績を取らないといけなくて、基準を下回ると留学費用を日本の大学に返還しないといけなかったから。そんなの無理だからプレッシャーが大変だった。


ところでこのブログを始めてからうれしかったことがある。身近な人から読んでるよと言ってもらったり、大学の友達が思ったことを文章にして送ってくれたりしたこと。正直いままでではじめて。今までいろいろと文章を書いてきたけど、まず、私は周りの人や友達にどちらかというと隠してきたし、その反面、逆にネットでは書いたものに対して多くはないけれど反応をもらっていた。そんなにたくさんじゃないけど、私の中でね。

でも今は全く逆の状態。ネットでの反応は信じられないくらい薄いし、ネットで文章書いてて反応薄いとか一体なんのためのネットでブログ!ってべそをかきそうになるけど、まあしょうがない。(やけくそになりながらこれを書いてるあいだにコメントをしてくれた人がいた!すごく嬉しい!)


だから、周りの人たちからこんなに反応をもらうのがはじめてで、実際体験してみてそれってすごく大切なことだなと思った。


なんでかって、私はいいかげん、地元を捨てて都会で生きる、みたいな物語を美談にすることを終わりにしたいから。まずなんで、自分の住みたい場所、環境に生まれられなかった人間だけか何かを捨てなければいけないんだろう。


そんな不公平なことがいつまでも美談として語られていていいのか。それに大嫌いな地元を捨てて都会に生きる、そういう二項対立はやっぱり分断だし、もう今この時代にはそぐわないんじゃないだろうか。


私はアメリカにいたとき、今までにないほど楽しい経験をした。数々のオスカーやトニー賞受賞者を輩出する学校で演劇と映画製作を学び、同じクラスにいたのはおじいちゃんがオスカー俳優とか、お母さんがボリウッドのすごく有名なフェミニストのプロデューサーとか、そんな世界だ。


そんな人たちと同じ環境で勉強をしたり、好きな作品について話し合ったりするのは楽しかった。演劇の生き字引みたいな先生はロビン・ウィリアムズが亡くなったとき、彼と働いた思い出話をしてくれた。

フェミニズムについても、当たり前すぎて話題にするまでもなかった。それはもう息をするようにみんなの共通事項であり、先生がぽろっと女性差別的なことを言うと文字通りクラスの女子全員の眉がピクっと動いて、次の瞬間には女子からも男子からも猛反論された。


フェミニズムをテーマに作品を作ってくる男の子たちもたくさんいた。言うまでもないけどマンスプをかましたり、的外れなことを言う人はひとりもいなかった。私は政治やフェミニズムについて発言したり、会話で映画や小説から言葉を引用をすればするほど人気者になった。正直ここほど自分にとって暮らしやすい場所はないと思ったくらいだ。いつも疎ましがられていた私の属性がプラスに評価されるのだから。


でも、その世界は私が来た世界からは離れすぎていた。いくら映画や政治の話で盛り上がっても、ふと経済観念のことになると、もう別人みたいにみんな全く話が通じなくなってしまうのだった。


彼らはたった1年学校に在籍するのに必要な1千万円以上が知らないうちにどこかから出ていて、お金というものに対しての概念自体がほとんどないから支払いする感覚もない。お金はないとかあるとかじゃなくて、いつも空気のように存在するもの。「ない」という意味もわからないのだ。


ものすごく大きい枠で捉えると金銭感覚が近い、とも言えた留学に来ている日本人と話していてもそうだった。ここにいる人たちのお金持ちっぷり本当にヤバいよね、と。時々そんな話をした。


けれど、そんな人たちもたいていが日本では私立の中高出身とか、英語科とか国際なんちゃら科とか特殊に英語を学んでいたりする。両親も揃っている。一人暮らしをして、実家から離れた大学に行くことができる。


一人暮らしするお金が出せず、大学に通うのに往復4時間以上かけて通学して睡眠不足と過労で身体を壊した私にとってそんなことは夢のまた夢だった。


私の地元では私の実家を含め、多くの人が軽自動車に乗っている。色々と安上がりだからだ。そんな感覚でふと「プリウスって高いよねー」なんてつぶやくと、「あ、うちプリウスだ…」なんてちょっと気まずそうに言われたりした。私は中流家庭の出身でさえもないのだ。


だけど、地元に帰ってくると、そこは私の住みたい場所でないという、また違った種類の孤独が待っている。友達と遊ぶのはもちろん楽しいけれど、浮くオタクなのも事実だ。おそらく何時間もひとつの小説や映画について話したがるオタクは私だけだ。


私はずっと、この隙間を埋める方法が分からなかった。ときどき、自分のどちらにも完全に属することができない孤独に浸って恍惚としたりしていたけど、やっぱりそんなことをしている場合ではない。案の定アメリカでは私が去った数年後に分断がトランプを呼び、同じようなことが日本でもずっと起きている。


私は自分の行き来したふたつの世界のようなもの、ができるだけ重なることを目指すことが大切なんじゃないかと思うようになった。それは自分のためでもあるし、分断を終わらせるのを目指すことでもある。まさに個人的なことは政治的なこと、なんじゃないかと。


そして、書いてみると案外伝わるということだ。フェミニストじゃない人や地元では…とか言って、分かってもらえないだろうなと決めつけてしまわないのは大切だなと今回のことで思ったりした。そんなこんなで自分のできることをできる範囲でやっていきたいなと思っている日々だ。

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