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仕事をクビになった(2度目)



ツイッターにはすでに顛末を書いていたのだけど、また仕事をクビになった。

今回は前回みたいに重大なミスをしたわけでもなく、仕事を覚えるのが遅いという理由で。出勤したのはたったの2回、計10時間くらいの勤務だ。


正直、今回はそこまで仕事ができてなかったと自分では思ってない。慣れないなりに忙しく働いたつもりだ。でも、同じ時期に雇われた他の日本人の従業員を見てると、何度も声に出してメニューを復唱したり、いわゆる自分から進んで仕事を見つけられる人で、びっくりしてしまった。


私はとにかく言われたことをやるのに精一杯で、それだけでもうヘトヘトになっていたから。


才能がないといえばそれまでのことだけど、最低賃金なのにそこまで高度なことが求められるの?とだんだん腹が立ってきてしまった。


解雇のしかたもひどい。


2回目の勤務が終わった後、次のシフトは今日中か、日曜に連絡するよ、とオーナーに言われて日曜まで待っても来ない。


月曜日はレストランが休みだったからその間に連絡が来るかと思いきや、来ない。


ついに火曜日になって「私今週シフトあるんですか?」とメールしたら、「ここ数日働いてみてどう?まだ働ける自信ある?正直学ぶのが遅い」と返事が来た。


なんて返事しようかと考えてたら数時間後に「返事が来ないということは辞めるってことだね」という追い打ちのメールが来て、そのままクビ。


ていうかクビが決まってたならもっと早い時点で言ってよ。火曜まで待たせるな!って私、ブチ切れ。


だから面接の時点でおかしいと思ってたこと(血液型を聞かれて、それについてネガティブなことを言われた)や、最低賃金しか払わないくせにそれ以上に働いてくれる日本人を良いように使いまわしてるんじゃないか、とか思ってたことをメールに書いた。


正直怒るのも疲れるし、穏便に終わるようこのまま流しておくか、とも少し考えたけど、自分が不当に扱われた怒りを無視しないことにした。


仕事を失うっていう結果は変わらないけど、自分のために怒りたかった。


後々になって他の人が声をあげてる時に「私は我慢したのに」ってならないでいられるかもしれないし。


でもそれよりもまず、自分が腹立ってしかたがなかったんだけど。


そして、店で知り合ったお客さんとちょうどラインのやり取りをしてたから、クビになったことを伝えた。そうすると私の働いてたレストランは元従業員から評判が悪いことで有名らしかった。やっぱり常習犯か。


あと北米の映画やドラマでダラダラと働くダイナーのウェイトレス描写ってよくあるけど、それってよく考えてみたら作品の中でも白人しか見たことない気がしてきた。


もしかすると、ダラダラ働くのは白人の特権なのかもしれない。少なくとも、アジア系の店のアジア人には許されてない。まず忙しすぎて、全然ダラダラなんてできなかったけど。


さて、怒りに怒ったあと、少し落ち着いてくると今の自分の現状がズドンとのしかかってきた。さすがの私もここへ来て精神的に限界に近い状態。


まず資金はもう底をつきかけてるし、仕事は2回もクビになるし、車がないとすごく不便なところに住んでるから買い物もままならないし、今の住宅環境にも慣れないし、外国でCOVID-19に感染するのも怖いし…ともうキリがなくなって、ついに日本に帰りたくなってきてしまった。


びっくりするのが、日本にいるときはあれほど出たかったのに、離れてるうちにだんだんと日本がすごく良い場所のように思えてくることだ。


考えてみると、アメリカにいた時もまったく同じだった。


たとえば、時間があれば地方の家賃が安くて大きな家を検索して、住む妄想をしたし(アメリカの時は北海道の旭川、今回は軽井沢)、在宅で生計を立てられる方法はないかと模索した(これは今も考え中)。何よりも日本のお風呂や住居環境が恋しくなってしまった。ロイホにも行きたい…。


でもこれは日本から離れて少し経って、だんだん日本がすごく良く見えてくるという、バイアスがかかってるのは間違いない。


だって今インスタグラムで無限にスクロールして見てる軽井沢のカフェや温泉なんて、日本にいたときからずっとあったし、そういう素敵なところは日本に星の数ほど存在する。ただお金がなくて一度だって行けたことがないだけで。


そして日本に帰るか、ここに残るかで悩んでいたら余計に体調が悪くなってきてしまった。


だからここ数日はなんの決断もせず、難しいことは考えないことにした。頭痛が酷いので鎮痛剤を飲んで、ほぼ寝て過ごしてる。


でもこうして横になっていると、ひとつ確実に見えてくるのは、私には帰る場所がないということ。


写真で見る軽井沢は素敵なところだけど、現実問題、ほぼ無一文の私がどうやってそこに住めるのか。仕事はどうするのか。考えれば考えるほど色々と無理な話だ。まず家を借りるにも審査がある。最終的にはなぜか110万円で売り出されてた中古の家を買うか一瞬迷ったくらいだ。


今の私にお金の心配をせず滞在できる場所があれば、それがどこの国であれ、行くだろう。実際COVID-19の影響で簡単に移動できないけど。


そして本来それは実家と呼ばれる、家賃や食費のことを心配せずとりあえず安心して眠れる場所だと思った。


でも残念ながら今の私にはそれがない。だから今手にあるものの中から答えを出さないといけない。


そんなことを考えながらベッドの中で高須賀由枝先生の「コミンカビヨリ」を読んでると、なんだか涙が出てきた。


20代後半、フリーランスのイラストレーターの女性が地方に700万円で古民家を買って暮らしていくお話だ。生活や人間関係の細かい描写がすばらしくて、そしてうらやましくなる。


なによりも、自分の家を手に入れたその後の話というのがいい。


読んでると、私もお正月を楽しみに待ち、食べ物を用意して飾り付けて、親しい人たちと楽しく過ごしたいと思った。


実際私の実家の人たちは浮き足立ったような12月の忙しさが大嫌いで、その時期になるといつも機嫌が悪く、罵り合う声を聞く回数が多かった。


お正月に楽しい時間を過ごすのは、夢だ。そしてこの夢は日本に帰ったからといって、叶うわけでもない。今までがずっとそうだったように。


どうやら私は外国に来ると、ずっと日本で叶わなかったことが、なぜか日本に帰ったら叶うと信じてしまうみたいだ。「帰りたい日本」はフィクションの中にしかないのに。


同時に、子どもの頃少女漫画に惹かれてたのは恋愛そのものというより、季節の移ろいを祝う豊かな生活描写だということが今になってよくわかった。


そして気がつくといつのまにかこういう作品を映像で作りたいと考えていて、自分の仕事人間ぶりを知ることになる。リラックスするために読み始めたはずなのに。


私にはこういう仕事をしたい、っていう仕事の目標があって、ほとんどそれだけのために今まで頑張ってきたけど、仕事とは別の夢もある。


たとえば、自分の家がほしい。誰にも邪魔されず、私と、私の愛するものだけに囲まれた場所で穏やかな生活を送りたい。


そしてその夢を叶えたかったら、今すぐにこんな霞でも掴もうとするような生き方はやめるべきなのかもしれない。


外資企業にでも勤めて必死にサラリーマンをするほうが、家を買うには現実的だろう。きっと、ローンも降りやすい。


でもそれも、きっとできない。私にはこれと決めた生涯を通してやりたい仕事がある。これは夢とも少し違う。諦めるとか諦めないとか、そういう話ではない。自分の一部だ。


でも同時に今すぐに安心して暮らせる場所も必要で、それが手に入らないというのはしんどい。身体も弱ってくる。


こうやって一人で慣れない土地に来ると、自分の持ってないものがあまりにもはっきり見えてくる。


帰る場所がないことは強みでもなんでもない。正直なところ、帰る場所がないからこそ自分はもっと頑張れるかも、と思ってた時期もあった。自分に良い意味でプレッシャーをかけられるかも、と。


でも実際そんなことはない。何かあっても大丈夫って分かっているからこそ挑戦ができるわけで、セーフティネットがないと心に支えがなくて折れやすいし、なかなか頑張れない。


でも、マッチ売りの少女みたいに温かい食卓を夢見てマッチ擦って死んでいくようなことはしたくない。そんなだったら図太くマッチ1本10000円で売りつけてでも生き残る。このnoteの記事1つ5000円で売るとか、オンラインサロン(って具体的になんなんだ)を開くとかすればいいわけ?


まあそんなのは冗談で、私は今あまり頑張らないでいようと思ってる。きっと帰国もしない。とにかく借金をしてでも現状維持でもう少し過ごしてみようかな。


常に前に進んでなくてもいいんだと思う。あと自分では進んでないように見えても、目には見えない速度で進んでるかもしれないし。

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