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自分の人生を生きる



今日は親たちが出発前に私とご飯を食べに行きたいと言い、夜ご飯をロイヤルホストに食べに行った。


もちろん、特に楽しい会話などはない。ただ、メニューから食べものを選び、各々の頼んだものを静かに食べ終わるだけだ。経済的な余裕があるわけでもないのに、なんのためにこんなことをしてるのだろうと不思議になってしまった。


退屈した祖母は家の近所の人の噂話をはじめ、毒親を置いて出て行った人のことを「あの人はバチが当たる。そんなことをしたら自分も子供に捨てられる」と言っていた。私は黙って自分の料理を食べた。


そのあと、サリーに借りていたリファカラットを返すためにサリーの家に行った。リファカラット、ひどい肩こりや首をゴリゴリすると、効くと聞いて試してみたくなり、サリーが持っていたので借りたのだった。たしかに、少し効いた気がした。


サリーは、私にトラベル用のコスメと手紙をくれた。そして「パワーをあげる」と言って、ずっと握手をした。サリーが「緊張するね」とか「寂しくなるね」と言ってるのを聞いて、私が思っていたよりもサリーは私のことを心配してくれていたのだとを知った。


そして実家にいるあいだサリーにもっと色々頼ったり、相談してもよかったのかもしれない、と気が付いた。こっちに引っ越してきてからサリーの存在は非日常、ではなくて日常になり、近いと相手の生活がなんとなく想像できる気がして、忙しいだろうし…とあまり頻繁に連絡できていなかった。一緒にやろうね、と話していたことの10分の1もできなかった。でも私たちはまた会うことを約束して、サリーはカナダに遊びに行くね、と言い、ぎゅっとハグをして別れた。


帰って貰った手紙を読むと「不安だろうけど大丈夫。私はいつもつかさの味方だから。自分の人生を見つけてね」と書いてあった。その通りだった。


私は、私の人生を見つけたい。そして自分の行きたいところへ行く。そんなに多く話した覚えがないのに、よく分かってくれてるんだな、と思うと涙が出た。


私は、愛を知らない人間にはなりたくない。ここでいう愛は相手をひとりの人間として見て、その人を尊重する力だ。


祖母の価値観には決まった幸せ、ではなく、決まった「人生」が見える。女性は男性や親に「口答え」をしないもので、男性と結婚をし、子供を産み家事をし、死ぬまで自分と結婚相手の親の面倒を見る。それが可能か、それが幸せかどうかなんてもはや疑問ではなく、それが「人生」だ。


私は「これをしないといけない」と押し付けられたことを受け入れたり、ましてやそれが幸せだと錯覚するような人生は送りたくない。まともな家族ごっこをするために不味いご飯を食べるのはもう最後にしたい。そのためには社会の価値観を疑い、学ぶことを止めず、個人規模だとしても闘い続ける。そうしないと、個々の幸せなんて簡単にかすめ取られてしまう。


私は目の前の人が何が欲しいのか、どうしたいのか、勝手に与えられた役割や決められたことではなく、その人だけのことを尋ねられる人間でいたい。そして、相手にもそうしてほしい。それが愛だと思うから。


朝にはもう出発。

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