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金のないフェミニストつかさ、日記をはじめる



その瞬間はある日突然訪れた。


いつものようにインスタグラムを開いて画面をスクロールしていたら、現れたのは今まで雑誌でしか見たことないような、よく磨かれた鉄板に乗っかっている分厚くてきれいなピンク色をした霜降り肉。デコられ磨かれ宝石を集めたみたいにキラキラした爪や、料理の面積に対してやたらデカい皿が使われている、うにやいくらなど高級な食材が上に乗っかったホテルのコースディナー。芸術作品のように繊細にデザインされたスウィーツやサンドウィッチが3段に飾られてる優雅なアフタヌーンティーセット。サンセット輝くワイキキビーチ!


そのとき私はセブンで買ったサラダチキンの肉を割り箸でほぐしてポン酢をかけながらそれを眺めていた。私が欲しているのはこのサラダチキンではない。わたしが食べたいのはこの肉!!このデカい皿にちょびっと盛られたコース料理!!


そしてこのすばらしいディナーの投稿者は芸能人やインフルエンサーでもなんでもない。ほんの数年前まで机を並べていたあの子。数日前に突然友達おすすめ欄に現れたかつての地元の同級生たちだ。


私は大学に進学したときに親友を除いて地元の友達とは少し疎遠になっていた。何かがあったとかどちらが悪いとかではなかった。ただ学校を卒業して進む道が違ったりして共通点がなくなっていって、いつのまにか会う回数も減っていった感じだったと思う。


私の地元は寂れた地方都市で、今なら分かるけど中流家庭の基準にも満たない貧困層の人たちが多く暮らしているところだった。私も例に漏れずシングルマザーの貧困家庭の出身で、両親は大学を出ていなかった。大学を出たのは家族の中では私が初めてで、高校のクラスでも大学に進学した女子は私1人だったように思う。まあとにかくそういうところだった。

私は本や映画など、物語が特に好きだった。だから大学に入って英米文学を勉強したり、そのことについて話せる環境が珍しくてとても楽しかった。そうこうしているあいだにフェミニズムに出会い、今まで自分が不満に思っていたことやモヤモヤしていたことってこんなに言語化されていたんだ、と思った。その頃から別に好きでもないのに毎日履き続けていたハイヒールをスニーカーに変えた。


しばらくして友達とフェミ二ズムをベースにしたウェブマガジンを自分たちで運営し始めた。私がフェミニズムに出会っていろいろな枷や呪いから解放されたように、それをもっとたくさんの女の子たちに伝えることができたらいいなと思っていた。


そういうとき私がよく考えたのは地元の女友達たちのことだった。地元は全体的に大学進学率自体が低い地域ではあったけど「女は大学に行かなくていい」という空気が女の子たちをさらに大学の教育から遠ざけていた。そんな空気の中で大学に行かなかった、行けなかった女の子たちのことを考えた。


私はみんなが大学に行く必要があるとは思っていないし、その必要のない人もいると思う。けれど最初からその選択肢がない、というのでは話が違う。というわけでその選択肢すら与えられなかった環境を私は憎んだし許せなかった。あの時女友達たちや私にフェミニズムや「選択肢」がもっとあれば、私たちはまた違った人生を送っていたんじゃないかと考えた。

が、私は大学を卒業してもお金がなかった。長い話になるから詳細は省略するけれど、私はそのとき数年かけて準備していたアメリカ留学の話が立ち消え状態になっていた。学校に入学するために勉強をしていて無職だったし、「新卒」で就職してキャリアを積むということもなかった。それに私は大学時代にどうしても学費免除でアメリカに留学するために勉強をしすぎて身体を壊していた。


貧困家庭から必死の思いで大学に入っても、大学の勉強について行くのも大変でこうなるのが現実だった。私の身体はすでに週5日出勤する「社会人」の生活ができるような状態ではなかった。


ということで、しばらくバイトをして食いつないでいくことになった。しかし、なんとか生きていくことはできても金はない。


私はまだまだ地元の女の子たちにフェミニズムの大切さを伝えたいと思っていた。彼女たちとは長い間連絡を取っていなかったけれど、心のどこかで心配していた。地元は男性でも平均収入が低い傾向のある場所だ。それに「女は男と結婚して養ってもらうもの」という風潮が強い。女の子たちが結婚をしてワンオペで家事育児をしたり、パートに出て共働きをしているのに家事育児全般をさせられているんじゃないか、そう考えるとすごく悔しかった。今まで私が見てきた光景はずっとそうだったからだ。


私は地元の女の子たちを救う、または何かあった時は力になってやるぞ!と正義感に燃えていた。


インスタの話に話を戻すと、とにかく私は今インスタでかつての女友達たちと再びつながった。そして先に書いたように彼女たちの豊かな生活に衝撃を受けた。彼女たちは説明文にそういうところにパートナーの男性に「連れて行ってもらった」と書いていた。


そこからは何より安定感、安心感というものが感じられた。もちろんインスタグラムというのはセリーナ・ゴメスが言うようにキラキラした一瞬を切り取ったものに過ぎないということは分かっている。だけれどそこには最低でも日々の支払いに怯えることなく帰れる家があり、飢えることのない生活があった。


どれも今の私が持っていないものだ。私が彼女たちの心配をし、ひとり正義感を燃やしてサラダチキンを食っているあいだ彼女たちは老舗料亭や高級ホテルで私よりもずっといい肉を食らって安定した生活を送っていたのだ。


私が彼女たちの心配をしていたなんて、なんてお節介で滑稽なんだろう。それに私は自分の考える「地元に留まった女の子たちの物語」みたいなものを彼女たちに勝手に押し付けていたのではないだろうか。私は自分のことがほとほと恥ずかしくなってトボトボと日が沈んだあとの商店街を歩いた。


そのまま軽い放心状態でいつものように図書館に向かい、いつもチェックするリサイクル本コーナーで『あしながおじさん』や『可愛いエミリー』などの古典少女小説が大量に置いてあるのを見つけた。もちろんありがたく持って帰ることにした。どの本も、どのくらい長いあいだ家庭で保管されていたのかは分からないけど紙が全部茶色に変色していて顔を近付けると古い本の匂いがした。


私は読書が好きな子供だったけど、小学生になると「子供向け」とされていた少女小説を読むのはかっこよくないからという理由でそこをすっ飛ばし、村上春樹や伊坂幸太郎などの大人が読む「ベストセラー」に手を伸ばしていた。

だから大人になって大好きな氷室冴子の『マイ・ディア』を読んだとき少女時代に少女小説を読まなかったことを大後悔して、26歳になって古典の少女小説を読破しようとしていた。まずは薄っぺらくて読みやすそうな『あしながおじさん』からだ。


読んで初めて知ったけれど、『あしながおじさん』の大部分は孤児院にいる主人公ジュディが「あしながおじさん」に送る、日記のような手紙で構成されている。ちなみに「あしながおじさん」は突然彼女に援助を申し出る正体不明の謎の男だ。


ネタバレをすると最終的にジュディは「あしながおじさん」と恋に落ち、幸せな結婚をする。今の感覚で読むと「いや、おっさんちょっと待てよ相手子供じゃん…?」「あんた保護者じゃ…?」となってしまうけれども1910年代、女性がものを書くということ自体珍しかった時代で、これは当時これ以上ない最高のハッピーエンドだったんだろう。とにかくそう思うことにした。


そして今でも相手はあしながおじさんじゃないにしろ、男性と結婚し安定した「幸せな結婚」をする女性はたくさんいる。


対して今の私である。男性と結婚しなくても経済的に自立し、好きなことをして生きていけるようになると決めたものの、詐欺のようなものに遭ったせいで精神疾患まで患っていて最悪の状態である。客観的に見れば今の状況は「男性と結婚をして安定した幸せな生活を送っている女友達」と、「自立とキャリアに燃え、金も安定もない病んだ不幸なフェミニスト」=私、だ。


なんとも、何千回も繰り返し言われてきたような、ミソジニストが聞いて喜んで踊り出しそうな状況である。精神を患った金のないフェミニストなんてフェミニズムのネガキャンなんじゃないかという思いが脳裏をよぎる。それでも私には私なりの生活があり、人生がある。

ねえジュディ、今のわたしに絹の靴下は買えないけどさ、新大久保で3足1000円の偽サーティーワン柄の靴下なら買えるよ。あんたならどう思う?

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